五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

増える大人の発達障害


・・・ちょっと気になったニュースなので。


■増える大人の発達障害 仕事に支障、ひきこもりも

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000085-san-soci


・・・ぶっそうなタイトルだ。まるでそういった精神障害をもった人口比が増えているような印象だ。がそうはないと思う。精神科医が、あるいは社会が、精神障害のレッテルを、安易に貼り過ぎているのではないか。集団の論理の中で、仕事を無駄無く円滑に回す過程に置いて、少しでも異端な困ったちゃんが出ると、すわメンタルヘルスの問題ですと言って排除し、片付けてはいないなろうか。


注意欠陥障害とか、境界性人格障害とかっていうのは、むちゃくちゃ衝動的で切れやすいとか、人の話を全く聞けないとか、本当に異常な場合のみ診断されるべきだ。忘れっぽいとか、段取りが下手くそだとか、その程度で精神障害呼ばわりされてどうするのか。全人類障害者になってしまうではないか。


やはり会社社会の、社員に求める仕事内容が、厳しくなったんだと思う。昭和の時代に「8割」出来れば御の字と許されていたことが、今は「10割完璧にやっても60点、普通の人間ならそこにプラスαを付加して、10割以上の仕事をして当然」と、すごいハードルになってはいないだろうか。


エリート、出来る人間は、出来ない人間の気持ちがわからない。「何で出来ないの!」とイライラするばかり。でどうするかというと、疎ましがり、排除する。これは謙虚を忘れた高慢の始まりであり、人種差別の始まりではないか。精神科医が、会社の管理職が、そんな差別的風潮に加担してどうするのか。


「誰でも苦手な事はある、完璧な人間等いやしない。だから助け合うんだ」という当たり前の認識も、風前の灯し火だ。「絆ニッポン」は、出来ないヤツ,痛いヤツ、残念なヤツを、排斥し「死ね」と言ったり、メンヘルのレッテルを貼るわけだ。