五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

またまた尾崎亜美礼賛


・・・前の日記で、敬愛する尾崎亜美ちゃんのことに触れながら、あまり紹介できなかった。


尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」

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尾崎亜美「瞑想」

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・・・実は私、何故かユーミンよりも先に、この尾崎亜美ちゃんの「瞑想」を聴いていました。例の「メジャーセブンスと16ビートリズム」を、邦楽アーティストで聴いたのは、彼女が初めてということになります。以来変わらず、彼女尾崎亜美は、私の女神でありつづけています。(パフュームのあーちゃんとはまた別な意味で。笑。)


確か1977年、私は中学1年だったと思います。当時はラジオの深夜放送を聴くことが、なんというか、青春への登竜門と捕らえていたんですね。眠い目をこすりながら、毎晩、深夜1時からの「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック山本コータロー)」「セイヤング(谷村新司)」などを聴いていました。でも大抵は最後までは聴けず、2時ぐらいで挫折していました。


で、ある夜、いったん挫折したあと、朝4時頃目が覚めたときがあったんですね。ラジオが鳴っていて、そこで何か、関西なまりのダミ声のお姉ちゃんが、陽気に「ラジオ体操第1」の曲に合わせて、「いち、に、ほれ頑張れ!」とか、合いの手を入れていた。(この辺うろ覚え)その人が、尾崎亜美ちゃんだったんですねー。デビュー曲「瞑想」は、そこで聴いたのか、あとでFMで聴いたのか、定かではないですけれども。ともかく、こんなオモロイおねえちゃんが、すごい曲を書きすごく上手い歌を歌う、ってんで、興奮したわけです。後に雑誌でルックスも知りますが、二重の愛らしい人で、たちまちトリコになってしまいました。(^^)


そのうち彼女は、80年代半ばを過ぎると、アメリカ西海岸のロックに接近して行きます。プロデューサーのデビッド・フォスターという人と仕事をするうち、編曲やシンセサイザーなども自分で駆使するようになる。サウンド全体をセルフ・プロデュースするような、トータルミュージシャンというか、一歩進んだ音楽を指向するようになる。日本の女性アーティストでも編曲まで自分でやるという人は、彼女が初めてだったはずです。


ユーミンとの比較ですが、私は、確かに同じ土俵だとは思いますが、「文学少女の怨念の鋭さ」で売るユーミンに対し、「大陸的なおおらかさと母性的な優しさ」で売る亜美ちゃんでは、キャラが真反対。比べてどうこう言うもんではないと言う考えです。評価の低さには「それはないだろう」と思いますが、でもまあ、「オリヴィアを聴きながら」とか、スタンダードも残していますから、まあいいや。


で、ようつべを検索しておりましたら、1977年、FM東京で放送されたらしい亜美ちゃんのライブ音源がアップされておりました。デビュー2年目、弱冠20歳の亜美ちゃん。既にハスキーで色っぽい声(^^)歌は抜群に上手い! なんと貴重だと思います。ファン向けのレア・アイテムでしょうが、ピアノが非常に上手なので。これは松任谷正隆さんかもしれません。アップされた方に感謝しながら聴くことにしましょう。


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http://www.youtube.com/watch?v=FuDNfRPbx_k&feature=related

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http://www.youtube.com/watch?v=wBejLfZdaVM&feature=related

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http://www.youtube.com/watch?v=8Ka2PcWOTTc&feature=related

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http://www.youtube.com/watch?v=DmYrmiyzPsE&feature=related

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http://www.youtube.com/watch?v=rAZZd_c7OPk&feature=related