五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

手話通訳気が散る発言


ちょっと間があいてしまいました。数日前になりますが、気になったニュースをひとつ。


■「手話通訳気が散る」発言で、落語家が謝罪

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071031-00000020-mai-soci


・・・ちょっとだけ、夢之介師匠の肩を持ちたい。

もちろん、師匠も悪い。ネチネチとネタにして話の枕にするのもひどい。

でも、前もって手話通訳が付くことを知らされておらず、いきなり行った先の舞台の脇で、仕事とはいえ堂々手を振り回されては、芸に身が入らないのも当然だと思う。


主催者が事前連絡を忘れていたか、あるいは、おことわりを入れておくことをまったく考えに入ってなかったか。それが一番悪いと思う。その上で、通訳者が舞台の袖に立つなら、つい立て一枚で仕切るとか、そのぐらいの配慮・心配りが欲しかった。たぶん主催者との間にイベント企画屋さんが一枚入っていると思うが、こういうことを怠るのは仕事への基本姿勢を疑われると思う。


さらに言えば手話通訳の方も、開演前に夢の介師匠に「これこれこいうわけで舞台に立ち、お目汚しいたしますが、どうぞご容赦ください」と、一言挨拶すべきだった、と思う。


「そこまで卑屈に神経質になる必要があるのか。仕事はお互い様、手話通訳者が手を振り回さなければ、通訳そのものが成り立たないではないか」と思うかもしれない。


でもそれは、メリケン的な、冷たい考えだ。和の精神に反する。道路工事でがりがりやっても「仕事だから」といって、近所に挨拶なしでいいのか。


この事件は、互いに「相手をおもんばかって、一歩先を読む思いやり」が、ちょっとたりなくて、それがつもりに積もって悪循環になった結果だと思う。和の世界・伝統芸に生きる師匠は、そのへんのけじめを徹底して欲しかったのではないか。


繰り返すが、日本人の私たちぐらいの世代は、思いやりの精神とか、こころの一歩先を読むセンスとかが、鈍くなっている。逆に若い人たちのほうが、「空気を読め」とか「乗りが悪い」とか、場とか和への気遣いのセンスは高いくらいだ。このへんは、自覚しなくてはいけないと思う。


・・・さて、今夜からはヴァリボだ!