五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

テリーは何故に女子ヴァリボファンであるか?

・・・いやー、猛暑、烈暑、殺暑です(++;昨年夏が冷夏だっただけに、なおさら今年は応えます。この時期にガバッと休みが取れてよかった。根性ナシの私は当然クーラーの部屋から一歩も出ません。アウトドアのレジャーなんかくそくらえ(爆)というわけで、夏の行楽に出かける皆さんは、くれぐれも事故とかにはお気をつけて下さい。

さて、ヴァリボも中休みですが、今日は、運動まったくダメで思いっきり頭でっかち文化系の私が、何故女子ヴァリボに何年もはまっているのか? その理由……私から見たヴァリボの魅力について、書いてみようと思います。古いネット友の方には、何となく認識はされていることかも知れませんが、今一度整理の意味で。

まずは単純本能的オヤジ的に「はつらつと動き回る若い女の子が好き(核爆)」というのがあります。これは確かに、自分の中で認めないわけには行かないが、でもそれなら女子スポーツなら何でもいいことになる。ところがそうじゃない(笑)「ブルマーが好き」ってのでもありませんよ!

ありきたりですが、やはり「ハラハラドキドキの長く続くラリー」が、一番の魅力であり、女子ヴァリボのキモじゃないかと思います。「コートにボールを落としたら終わり」というルール自体がもたらすスリル。テニスや卓球のように「ワンバウンド」も駄目って球技は、他にあるかな? 無いんじゃないかと思います。そのルールは男子ヴァリボも同じですが、男子の場合はテニスのごとく、サーブ一発、スパイク一撃で決まってしまうケースが多く、女子ほど長くラリーは続きません。この点で女子ヴァリボはかなり特殊かも知れません。何せ日本では特に、得点に絡むスパイクよりも、アウトボールを客席フェンス際まで追いかけて飛び込んで返す「スーパーレシーブ」に会場が盛り上がるくらいですから、ここに魅力を感じる人は多いはず。納得していただけると思います。

で、バウンドの替わりにヴァリボは、3人がボールに触る=1,レシーブ→2,トス→3,スパイク……という「形式・リズム」で進んでいく。そのリズム、3回目が勝負という点が、日本的な感性に合っていると思うんです。相撲の「見合って、また見合って、はっけよい立ち合い!」とかみたいに、序奏、前準備が必ず入るところ、それが決まり切っているところが良い。サッカーやバスケみたいに、ネットがなくて敵が攻めてくる競技は、こんなのんびり形式的には行かないでしょ?

ヴァリボはその3タッチの間に、いかに敵を惑わすかという作戦、技を駆使するわけです。ここにいろいろ工夫が入ってくる。誰かがオトリになって敵を引きつけたり、打つと見せかけてパスしたり、ってのは、サッカーもバスケもあるけれど、ヴァリボの方が「ナントカ攻撃」とか名前が付いている分、システマチックで頭脳的に見えてカッコイイ(笑)気がする。このへんは「アタックNo1」からの思いこみの部分も大きいですけど。

と、ここまでが、表向きの理由、です。

じゃあ裏向きの理由ってのがあるのか?それは何か??

・・・こっからが長また長い(笑)

10年も大昔になりますが、私、「女子ヴァリボが敗退する時、日本経済は崩壊する!!」という、無茶苦茶なエッセイを書いた事がありました。基本的な考えは今でも変わっていません。

70年代、五輪でメダルを何度も取り「お家芸」とまで言われた女子ヴァリボ。その裏には、低身長とパワー不足のハンディを補うため、誰もやらなかった技と戦術を考案し、猛練習によってそれをモノにする、工夫と努力があったわけです。「回転レシーブ」「時間差攻撃」等、ヴァリボの常識的な技は皆、日本の「東洋の魔女」がオリジナルです。この姿は日本企業が成長してきた姿と見事にオーバーラップします。資源不足の国がそのハンデを「第2次産業・加工貿易」によって克服しようとする。日本の高度成長は、終身雇用と疑似家族的雇用によって支えられ、寝食も忘れるほど仕事に没頭した会社人間たちが、職人的・匠的な技と工夫を懲らすことによって、築かれたものでした。

ところがバブル崩壊以降、欧米が日本企業のやり方をこぞって研究し、良いところだけを上手く取り入れるとか、あるいは日本的な「本音と建て前」のような思考方法までも外国人にものにされ、先手を打たれてしまうようになる。ここから日本の凋落が始まったと考えます。丁度その頃から、日本のヴァリボが勝てなくなります。日本の技「回転レシーブ」「時間差攻撃」などが研究され、外国の選手もこの技を、こなすようになってくる。現代のヴァリボで、センタープレイヤーがよくやる「移動攻撃=ワンレッグ」などは、そういった「日本的な方法を身につけた外国人選手」が考えたモノだと思います。(多分アメリカのポーラ・ワイショフという、日本でも長くプレイした人の考案だったと思いますが。)

どうです? 女子ヴァリボと日本経済。見事にオーバーラップしてるでしょ?

こうなってくると、もう日本に道はありません。仮に新しい技を考えたとしても、その発想の方法自体が読まれている以上、通用するのはほんの僅かの期間。たちまち諸外国にモノにされ、体力に勝る外国が、もっとすごい技を繰り出してくる。前途は暗澹。ジャパン・アズ・ナンバーワンはまさにうたかたで、もう2度とありえないでしょう。

しかし、国民は、ヴァリボのファンや選手関係者も皆、過去の栄光が忘れられず、考え方を切り替えることが出来ません。そこに不幸があります。「メダルは取って当然・とれなきゃ敗北バッシング」なんて、さすがに最近はそこまで言われなくなりましたが、一昔前などはヒドイ物でした。(柔道などは今でもそうです。これも考え直さないと。)勝つことを要求されるプレッシャーはどのスポーツでも同じかも知れませんが、特に女子ヴァリボは「逃げ道がない」気がします。

その上指導者が、非常に前時代的・強権的なところも、特に女子ヴァリボには多く見られます。実際に現在でも高校の某強豪校の指導法などは、完全にシゴキ・人格まで否定されます。Vリーグ・実業団はそんなことはないかも知れませんが、それでも他の競技、サッカーなどに比べれば、厳しく強権的で、選手の自主性があまり尊重されないのは事実でしょう。

さらに今は「金メダルが究極の目標とは成らない」のも問題です。メダルで飯が食えないのは昔からですが、価値観も多様化し享楽的な生き方も是認される現代です。「メダルに向かっていろいろ犠牲にして努力して、だから何なの?」ってことになっちゃう。遊びたい盛りの若い人ががんじがらめにされ、いわれなきプレッシャーを掛けられる。いくら好きで青春を掛ける意気込みでヴァリボに打ち込もうと思っても、毎日毎日自由がないところでしごかれ、努力しても努力しても勝てず、先の見込みも無く、恋愛や遊ぶ暇もなく、気がついたら青春も終わり、私一体何をやってたんだろう、では、救いがありません。特に女性は結婚適齢期の問題もあり、なおさら微妙だと思います。

ヴァリボはまさに、そんな状況なわけです。

でも、そんな中でも、今の選手達は「メダルを目指します!」と、言ってくれます。そして頑張ってくれます。

竹下選手などは、前々回の五輪予選敗退からずっと、戦犯扱いされバッシングされ続けています。それでも彼女は、身長という致命的なハンデを持ちながらも、コートに立っています。くじけても、またくじけても。

ヴァリボは、この21世紀にあっても未だに、スポ根の世界なわけです。ダサイわけです。血と汗と涙なわけです。

そこが、いいんですよ。泣かせるんですよぉぉっ!!

「武士道とは死ぬこと」……これは確かに、戦前の国家思想に繋がる考えで否定されるべきものでしょう。でも、そうは言っても、私自身どこかで、そんな「大きな物語を生きて死んでいく」ことに、憧れを持っているのだと思います。そして、その生き方を、女子ヴァリボの選手達に仮託している………私にとっての女子ヴァリボの魅力は「報われる可能性が極めて少ないことに、身を粉にして打ち込む姿」にあります。そこに、昔ながらの日本人の元型のようなものを、見ているのかも知れません。