五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

許容量が小さいからって

・・・「(人の心の)許容量が小さいからって、それを責めるのは、やっぱり酷なのよ。」

吉田秋生の漫画「海街ダイアリー」シリーズの中でのセリフである。これは、看護婦をしている主人公の姉が、病人と向き合わず介護に尻込みする家族にたいして、怒りながらも「仕方がない面もある」と容認するくだりに使われるセリフだ。

重篤な病人の介護などという、ちょっと特殊な状況でなくとも、現実の局面局面、辛いこと、逃げ出したくなることはいくらでもある。そして、本当に逃げ出してしまったり、おろおろして何もできなかったり、そんな経験は誰もが1度や2度はしていると思う。情けない、ふがいない自分。しかしその時は、それしかできなかった。いっぱいいっぱいだったのだ。

そんな自分を、人はしばしば棚に上げる。そして、ちょっと要領が悪くてクズな人を見て「こいつ使えねえヤツ!」なんて言ったりする。そういう人と友人知人づきあいをするとなると、逢うたびにイライラさせられたり、あちこち振り回されたりの被害を被るかも知れない。

でもやっぱり、その人の許容量が小さいからと言って、責めたり、人格まで否定したりすることは、酷なのだ。その人なりに一生懸命やっているのだからね。その過程を見ないで、自分の都合で人を判断する。これは差別の第一歩。自分も心がけてやめようと思う。