五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

手塚治虫と音楽と

昨晩の国営放送で、手塚先生についての番組があった。「音楽」の側面から、手塚治虫の作品と人間をひもとくという。誰かがやりそうで誰もやらなかったアプローチで、面白かった。


手塚治虫 漫画 音楽 そして人生

http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090207/001/21-1645.html


手塚先生は宝塚市出身(出生は豊中市)ご家庭は裕福で、家には戦前からピアノがあったとか。隣家が宝塚歌劇団の大物女優さんちで、子供の頃から母親に連れられてレビューを観たりしていたらしい。こういった恵まれた環境で、映画や昆虫学とともに、手塚先生の音楽的なセンスも形成されていく。後に大人になってからも、大のクラシックファンとしても有名で、執筆中は必ず大音量で交響楽をかけていたという。ピアノも、簡単な曲なら結構両手で弾けたらしいし、もちろんその博識ぶりとなれば、音楽史や作曲家の伝記などはほとんど読破していただろう。自身の漫画作品も、遺作となった「ルードリッヒ・B」の他に、ショパンが出てくる作品もあったような。とにかく手塚先生は、音楽にも並外れて造詣が深かった。


その手塚先生の、初期のアニメの代表作「ジャングル大帝」「リボンの騎士」に音楽をつけていたのが、後のミスター・シンセサイザー、作曲家・シンセ奏者の冨田勲だ。当時、手塚先生の作曲家に対する注文・ワガママ振りも相当なものだったらしく、冨田先生が回顧する。


ジャングル大帝の時は「音楽も、ともかく単なる劇伴じゃなく、ディズニーに負けない、ミュージカルに迫るものにしよう。」という意気込みだった。で、手塚さんはあのとおり、昼夜無いでしょう? だから夜中の二時頃電話とかかかってくるの。音楽をこんな感じで行きたい、って。当時はメールやファックスも無いし「今冨田に言ってっておかないと忘れちゃうから」ってんで掛けてくるんだけど。それが出るまで鳴らすの、しつこいんだ(笑)現場でももう、すったもんだやりましたよ。」


「後でジャングル大帝の音楽が好評で、オーケストラの交響組曲のレコードが出るとき、ジャケットの他にも何枚か絵が必要だったの。で、手塚さん、よせばいいのに「これは僕が1人で描く」って言って、アシスタント使わないで書いたの。連載で忙しい合間に墓穴だよね。で、ある日陣中見舞いに行ってみると、手塚さん、床で寝てるんだよね(苦笑)で、少ししたらまた起きて、続きを書くんだけど、モウロウとして半分寝てるわけ。でもね、絵は乱れないの! レオが船から海に飛び込むシーンの、波頭を書いてるんだけど、寝ててもちゃんと波になってる。これは恐れ入ったね。」


番組はその「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の、見事に音楽と同期したオープニングアニメを紹介する。他にも手塚アニメの音楽を紹介しながら進むが、直接手塚先生とは関係のない、坂本龍一山下達郎(声のみ)が、インタビューに答える。


「物事を主張するとき、口でただ言うのは簡単なんです。戦争は悪いとか、そのまま言うのは簡単。でもそれを、クリエイター作品として、もっと深く届くように作る。創作の根源的な難しさ、これを思うとき、手塚先生の偉大さって、ひしひし感じますよ。年取るとますます大きく感じる」(坂本)


「手塚先生が亡くなったとき、鉄腕アトムを全巻、読み返したんです。そのとき、その中の場面やセリフを、もうほとんど一字一句、覚えている自分に愕然とした。それだけ子供の頃にでかい影響だった。だから自分は「アトムの子供」だと。それでそういう曲を作りました」(山下)


そして番組は後半。再び富田先生が登場する。ジャングル大帝のテーマを、自ずからオーケストラ指揮して演奏するという。オケは、手塚先生の母校・大阪大学の学生オーケストラ。もうこの企画だけで感激してしまう。学生たちはでも、この二人のクリエイターのことを、偉大さをどれだけ知っているのかなあ。逆に知っていたら、萎縮して演奏出来ないか。


2月7日土曜日の夕方、再放送があるようです。ちょっとユルい展開の部分もあるけど。おすすめします。