五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

居場所はどこに

・・・・「中年の危機」かな。ここ数週間体調もよくないが、何より意欲減退が自分でもわかるくらいひどい。会社に行ってルーティンワークをこなしてはいるが、それが精一杯。昼休みとか気がつくと、本当に何も考えていない瞬間がある。帰ってきてからなどはもう何もやりたくない。土曜日なんぞは疲れて寝っぱなし。で、こんな変な時間に日記を書いたりしているわけだ。

まあ精神的にデカイ波は絶対来るだろうなとは、常々思っていた。小さい頃からの夢だった、漫画家もしくは作曲家になれなかったこと。そして、ヨメの来手がないこと(苦笑)で、中年ど真ん中まで来てしまった。挫折の王様。本当は日々神を呪いながら生きているのだよ。笑。

・・・ま、それはいいとして。

国営放送で、「居場所はどこに 密着若者の集いの場」という番組をやっていた。某市のコミュニティーセンターに夜な夜な集う若者たちを取材したドキュメンタリーだ。

高校生を中心とした彼らは、夕方になっても家へ帰らず、10時まで解放されているセンターの多目的ホールで、何をするでもなく過ごす。「仕事仕事で親は帰ってこない」「両親が毎日喧嘩ばかりして、そんな家には帰りたくない」いろいろ事情を抱えた子供たちの姿が描かれる。言ってみれば彼らは「家庭内ホームレス」だという。

ただ形は現代的になったが、家庭に子供の居場所がないってのは、昔からあった様な気がする。家が居心地が悪いからこそ、若者は家を捨て独立した自分の道を歩める、少なくても昔は、そんな部分もあったのではないだろうか。

市の公民館を、こういった若者たちに解放した、せざるを得なかった市の対応、本当に苦慮の様子が見て取れる。中心となって活動されているセンター長のS氏は、集まってくる子供たちの中で何人か居る「要注意」な子供を、自宅に呼んで夕飯を囲んだり、いろいろ相談に乗ったりしている。学校の先生も親もとりこぼした教育のスキマを、こういう人が支えている。頭が下がる思いである。

その中の子供の一人が、センターに集うみんなと前から約束していた「誕生会」をサボってしまう。別な昔の仲間と逢って話が弾んでしまって、つい忘れてしまったそうな。閉館直前にあわてて現れた彼を、センター長のS氏は、頭からどなりつけた。「どんなワケがあっても今日はオレはお前を許さない!  皆と約束したよな! お前のためにプレゼントを買って待っていた奴もいるんだ。ちゃんとあやまれ!」と。

・・・そうなんだ。こういう大人が怒ってくれて、それを何度か繰り返して、僕らは大人になってきた。そう言う面がなかったろうか。

都会のベッドタウンの片隅で、失われていく地域社会とか絆とかいうものを取り戻すべく、地味ながらも懸命に格闘している大人と子供の姿。いい番組だった。