五輪フィギュア、ザギトワ選手の演技問題
■フィギュア15歳ザギトワが金メダルなら賛否必至?
1:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180222-00000003-wordleafs-spo
2:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180222-00000003-wordleafs-spo&p=2
平昌五輪女子フィギュアスケートは、まさにザギトワが金メダルを獲ってしまった。記事に書いてある危惧が現実になってしまった。
「演技後半でのジャンプは得点を1割増する」「手を挙げて跳ぶジャンプは難しいので加点する」という得点ルールのもと、それに忠実に従ったプログラム構成で、ザギトワはたった15歳で、見事五輪優勝をさらってしまった、と、これだけだと実に素晴らしい快挙で、何が危惧なのかと思うだろう。でも前のアメリカ五輪代表のアシュリー・ワグナーがこう批判しているのだ。
「彼女の演技前半は空っぽで、後半がカオスになった。これは演技ではない。採点の仕組みがそうさせていて、彼女のことを責めることはできないが、私は楽しめなかった。これはフィギュアスケートではないと思う。」と。
フィギュアスケートの演技プログラム構成は、ルーティーンと言っては何だけど、なんとなくの暗黙の決まりがある。まず最初につかみとなる難しいジャンプを何本か跳び、中間部でスローにした音楽でマイムや滑りそのものの美しさを見せ、後半はまた複数ジャンプで盛り上げ、最後に畳み掛けるようなステップワークからスピンで〆る、というものだ。誰しもがこの構成では面白くないのだが、この構成だとドラマ性が保たれるせいで、観客も安心して見られる。
ザギトワの場合は、前半ジャンプを全く跳ばず、本来クライマックスとなるべきステップ&スピンを、盛り上がらない前半に行ってしまい、後半はもうただひたすら跳ぶだけにしてしまう。従来からのドラマ性を無視しているのだ。「点数を取る」ために。
私の意見を書こう。私もこれには、正直ちょっと感心しない。高橋大輔、浅田真央、鈴木明子、皆最後のステップには、命がけと言ってもいいほど思いを込めてきた。その演技に感動してきたから。
私も、そしてワグナーも危惧しているのは、「点数稼ぎ」のために他の選手たちが、我も我もと、このザギトワ式「後半ジャンプ構成」を取り入れ、結果的にフィギュアプログラム全体のレベルがつまらないものになってしまうことへの危惧だと思う。
ただ記事にもあるが、この後半にジャンプを集中させる構成は、並の選手には出来ない。前半いくら抑えようとも後半までスタミナが持たない。それに前半抑えれば抑えるほど、本当に空っぽな演技になってしまう。ザギトワがそれをやって飽きさせないのは、彼女がものすごくきっちりした「バレエの基礎」を持っているからだ。彼女は跳ばなくても、ただ滑って動いて居るだけの所作が、実に美しいのだ。それで、前半ジャンプなしでも、そこそこ見れてしまう。
それに、ワグナーと私が擁護する「旧来構成派」の方が、暗黙のルーティーンに従っているなら、そっちの方がつまらない、唾棄すべき保守ではないか。ザギトワ陣営のほうが新しフィギュアスケートを目指す、希望の星ではないのか? そういう意見もあろう。もっともだと思う。私も本当は、どっちが良いのかわからなくなる時がある。
フィギュアスケートは過去数十年間いつも「採点基準が明確でない、ジャッジの主観と好みで判断される」という批判を受けてきた。今のルールの、技に細かく点数を加点減点していく方法は、その批判に長い間かかって応えてきたものだ。ある意味今の点数制度は、公平明快なスポーツ的判断への中間報告地点というか、ルールとしてまだ完全ではなく、改定の途上と言える。
構成の問題とともに、あまりにも厳しく取られる回転不足減点、手を上げれば加点という、安易な加点も問題だと思う。これでは「できの悪い4回転よりも、できの良い3回転の方が、審判受けがよく点数が高い」ようになってしまう。これではフィギュアスケートの進歩を阻害する。今回の五輪をきっかけに、ぜひともスケート連盟や選手コーチ達含め、大きく議論して欲しいところだ。