五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

平成の大合併

 いきなりカタイ話。

 今、地方の市町村の合併が凄い勢いで進んでいる。「平成の大合併」なーんていうお題目で、合併を国が後押ししていて、お金とか優遇措置を、いろいろ付けているらしい。で、その措置の期限が今年度中、つまり来年の3月までということで、田舎の「村」は、なんとか本年度中に急げや急げと、どんどん周りの「市部」と合併している。合併と言っても、事実上市部へ「統合」されて、名目上の「村」は、なくなってしまうわけだ。

 これは、昔からの地名を簡単に捨てさせ、その町その町の文化や住民の「おらが村意識」をそぎ落とさせる、政府のたくらみ、中央集権化、国民総コントロール化の表れだと思う。ミエミエである。もちろん地方だってそんなことは分かっている。分かっていながらも、やっぱ経済が苦しいのだ。世の中ゼニと権力、そして、時流の流れには勝てない。

 この「大合併」が、地方の「ドーナツ化」にまた一段と拍車を掛ける。合併により山村部落は一段と過疎になり、駅前商店街は一段とさびれる。地方の新しくできた「市」には、郊外の全国チェーンの大店舗と、同じ規格の新興住宅街だけが、整然と立ち並ぶ。まるで50年代のアメリカSFが警鐘を鳴らした、無味乾燥で自閉した世界だ。

 行政サービスも低下する。役所や郵便局、学校や保育園も「人があまり居ない」理由で、どんどん統廃合され遠くなる。年を取って足腰の弱った年寄りに、老人年金のハンコが必要だ、役場に来いと言いつける。

 いや、役所はまだ良い。問題は学校と保育園だ。毎日毎日子供らが通うべき学校が、近くに全然ない、ってな状況が立ち現れてくる。親とて毎日送り迎えもできまい。小さな子が2キロ3キロ歩いて(あるいは自転車で)山越えして学校に通う、なーんて戦前みたいなケースが、出てくるかも知れない。町内会や部落などはどんどん壊滅していくので、結局親が、それも多くの場合母親が、子供の送迎まで責任を負わされることになる。変質者とか物騒な事件なども増える中で、である。子供一人一人に携帯を持たせ、学校に着くと「無事ですメールがママに届き」(c)Masugaさん)となる日は、もはや目前だ。

 地方の絆をずたずたにする「平成の大合併」。その下で犠牲になるのは、老人、身障者、そして子供と母親なのだ。