五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ちょっとだけ入院記

病院入院を経験するたびに思うのだが、ここはまさに病気と闘う不夜城、夜を徹して働く看護師さんの奮闘ぶりにはいつも頭が下がる。今回私は医師の指示で、昼だけでなく夜中の2時からの点滴となったのだが、その仕事ぶりはいつも完璧。真夜中の病室で、周囲に気を使いながら小声で「はい、終わりましたよ。ご苦労様でした。」と声がけもちゃんとしてくれる。
 

スケジュールも時間でぴしぴし決められ実にシステマチックだ。もっとルーズでも良いじゃんとも思うのだが、それでは次々押し寄せる仕事はこなせまい。看護師さんはいつも一杯一杯がデフォで、とにかく忙しい(見ていると午後に少しはほっと抜ける時間がありそうだが)。
 

ただ同僚との助け合い、手の貸しあいを惜しまないように教育されているようで、何かあると「すいませーーん。◯◯号室のXXさん、ちょっとヘルプお願いしまーす!」という声が病棟中に響き渡る。と、他の看護師さんが取りあえず今の仕事を一時保留し、その病室へ駆けつける。徹底した決まりになっているようで、迅速で実に頼もしい。先輩が後輩への声がけも頻繁に行っていて「◯◯さんとこの仕事、一人で大丈夫?」てな光景もよく見られた。
 

最新科学を結集した、すべてが数値で管理・決定されているような世界。聴いた話によると今の血液検査の精度はすさまじく、病気はおろかその人の日常生活・行動パターンまでも読み解いてしまうほどだという。体温管理や血圧管理、患者の動向は数時間おきに問診され、データベース化され折れ線グラフにされ突きつけられる。これこそが人類が到達した叡智、素晴らしいものだが、時に私は「この数値まみれの世界を、本当に信用していいのかな?」とも思ってしまう。
 

いや医療科学を信用していないわけではないし、日進月歩を開拓してきた医療従事者の皆さんには、上記の看護師さんの話を含め大いに頭を下げるのだが、それでも、人間は病からは逃れられない、すべての病気を克服することはできないわけで、所詮人間は病を得て苦しみ死んでいくものだという根本原理は覆せない。そのなかで、医療従事者は実に根気強く日常業務にあたっているのだが、「この人達、自分の仕事や存在に虚しくなって、自己パニックに襲われたりしないのだろうか?」と考えてしまう。私には絶対無理だ。
 

もうまだらボケになっている車椅子のおじいさんに、若い看護婦が笑顔で話しかけている。その光景は実に美しく優しいものだが、私は生者必衰の定めに、その人間存在の虚しさに、悲しくなってしまうのだ。