五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

本田美奈子.最期のボイスレター


・・・くわ~~~(TT)これはちょっと、最後まで観ていられませんでした。


本田美奈子.最期のボイスレター

http://www.nhk.or.jp/omoban/k/0225_8.html


・・・国営放送でさっきまで放送していました。お正月BSでやった再放送だと思います。


故・本田美奈子.さんが入院中の2005年夏。訳詞・作詞家の岩谷時子さんが大けがをし、同じ病院に運びこまれます。二人は何度も一緒に仕事をし、美奈子さんは岩谷先生を母のように慕っていました。しかし自分は無菌室での抗がん剤治療のため病室を動けません。動けないどころか薬の副作用で激しい嘔吐と髪も抜け非常につらい状態でした。


そこで、本田美奈子.さんは、岩谷先生を勇気づけるため、毎日毎日「歌付きボイスレター」を録音し、同じ病院の階下の岩谷先生のところへ届けてもらうことにしました。自分も状態が悪い中です。時には「脈拍150で動悸が止まらない」時でも、岩谷先生を思って、先生の作った名曲名訳たちを、声を振り絞って歌いました。


この声の励ましに、ご高齢の岩谷先生も精一杯答えていきます。で、病院のベッドに縛られながらの声の往復書簡が、実に三十数本、数を重ねることとなります。番組はこのボイスレターを、彼女のアカペラを、ただもくもくと紹介していきます。


自分も重病で加減が悪い中、ひとのために、歌う。ただひとりのひとのため、毎日ありったけの思いを込めて、歌う。身を削った、まさに絶唱です。「自分のふしあわせは考えずに、ひとのしあわせを考えていきましょう……このことを実践するあなたに、心からの感謝し、尊敬しますよ」と、岩谷先生も答えています。


・・・私は途中で、見て聞いていられなくなって、チャンネルを変えてしまいました・・・(TT)

残された歌たちは、本当に、一生に何度も聞けない、心からの歌だと思いました。音楽とは何なのでしょう。ひとのために生きるということはどういうことなんでしょう。考えなくてはいけないと思いました。