五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

またしてもフィギュアスケート文化論


また同じことを書くが、フィギュアスケート。日本が強いと思っている方。今後も安泰だろうと思っている方、それは間違いだ。フィギュアスケート日本は現在でも、薄氷の上に成立つ楼閣。この繁栄は脆いものと思った方が良い。


それは何故か? 次のソチ五輪で選手がごそっと引退する、その後の選手が村上・羽生選手ぐらいしか育っていないことも理由だ。でももっと大きいのが「ペア&ダンスに選手が全然育っていない」ことだ。シングル競技ばかり強くても、カップル競技が全然駄目なら、それは文化的片手落ちだと思うのだ。いやそれどころか、シングル競技だけの今の状況で、我が国は強いんですと言ったら、西欧の人たちに、鼻で笑われるのではないか、と思うのだ。


話を大きくするが、フィギュアスケートカップル競技は、西洋宮廷伝統文化の現代版だと、つくづく思う。中世の吟遊詩人とか騎士道の「貴婦人への崇拝と奉仕」「女性を立てる精神」が、脈々と受け継がれて来る上で、スポーツ表現として花咲いた結果だと思う。カップル競技の男性選手は、裏方として女性を支えることに、男性騎士としてのプライド・尊厳を賭けているのではないか??


そして現代の政治や倫理規範は、認めたくなくても西欧文化が基準となっている。古くさい騎士道精神は、欧米の政治家やセレブ達に、意外と色濃く残っている。政治家が未婚だと一人前と認めてもらえないのが一例だと思う。そのぐらい、カップルとなって初めて、人の上に立つほどの人間と認められる、って部分があると思う。かたや武士道の「男女席をを同じうせず」の教えは、反世界的な価値観で、失笑されで終わりだ。


だからフィギュアスケートの、カップル競技の裏にある「騎士道の女性賛美と奉仕」を、腹の底から解ってるような日本人ペアが登場し、それが何世代かに渡って続くようにならないと、真のフィギュアスケート王国とは言えないのである。それはチマタで議論されている男女共同参画とかジェンダー問題とか、そんな功利的な問題ではない。性差を認めた上での、真の男女平等に繋がって行く考えだ。


日本に果たしてそんな日が来るのか、実ははなはだ疑問なんだけれども。