五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ろくでなしのヒーローを求めて


また映画「ブルース・ブラザーズ」のDVDを観た。ホントにアホな(褒め言葉ですよ)無茶苦茶な映画だ。


主人公ジェイクとエルウッド兄弟は、かっぱらいや詐欺・ペテンと道路交通法違反はお手の物。社会の底辺に生きるろくでなしだ。だが良く見てみると、傷害や殺人はやってないし、数々起こるテロや爆破も、彼らの罪ではない。孤児院のシスターに「汚い金はいらない!」と言われると、一応ちゃんと(?)バンドで働いて作った金で、最後は市民的に孤児院の税金を払いに行くし、ろくでなしだけどどーしよーもないワルではない。


そんなろくでなしを捕まえようとする国家権力たる警官達も、無数のパトカーとともに大挙登場するが、その無能ぶりもアホらしくていい。この映画で一体何台パトカーを潰したんだろう。そんな官憲の物量にモノを言わせた追撃を、兄弟が凄いカーチェイスで逃げ切る様は、反骨精神を刺激され胸がすく思いがする。


ジェイクとエルウッドは、アメリカの西部劇のアウトローや、ニューシネマの伝統に則った、まっとうなアンチヒーローなのである。


■Cab Calloway「Minnie the Moocher」

D


ブルース兄弟のライブの「前座」として歌われたこの曲。大分古くって、戦前の曲みたいですね。内容はこんな感じです。


「ミニーはあばずれ、ヤク中女、情夫と二人注射漬け。

 ダイヤの車を夢見るも、全部クスリの幻覚さ。」


ひでえ歌詞だ(苦笑)ブルース、R&Bの歌詞は、こういう社会の底辺のヤクザもんの歌がとりわけ多い。奴隷上がりの貧乏な黒人達が、日々を慰める為に歌い出したものなので、さもありなんと納得はできる。


しかし、こういうヤクザやゴロツキ、ろくでなしを描いた物語って、どこの国でも結構多い。日本だって、国定忠治とか清水次郎長とかいるでしょ?(彼らは親分でチンピラじゃないけど)あと石川五右衛門かネズミ小僧次郎吉か。それらが歌舞伎や旅芝居を経て、新国劇とか大衆演劇になり、ヤクザ映画になりフーテンの寅さんになって行く。


あるいは、落語の熊さん八っつあんか。彼らは犯罪はやらず真面目に働いているが、学が無く粗忽者で、お世辞にも立派ではない。


この伝統的なアンチヒーロー像、ろくでなし像は、つまりは「庶民の視点」なんだと思うけど、ではそこに、どういう心理が働いているのか。人々は何故、こういう庶民的アンチヒーローを求めるのか。権力に痛めつけられている構図がある以上、人間として当然の希求だと言う人がいるが、それだけではイマイチ納得出来ない。ワタシには分からない部分も多い。


日本は先進国になり、一億総中流意識、てな事も言われた。(バブル崩壊以降この意識は今は消えたのか?)中流だから低階層の気持ちは分からない。大酒飲んで競輪・競馬、飲む打つ買うにあけくれても、人情と仁義を忘れなかった昔の「ろくでなし庶民」の心は、どうやらワタシ自身も、失って来ているようだ。