五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

避難措置について


原発事故の避難措置がどうなるのか、について、難民の立場から、整理の意味も込めて一応書いておきましょうか。県外の人が新聞やニュースを、どの程度真摯に読んでいるのかわからいけれど。


まず、政府方針として避難区域の見直しです。

(1)「避難解除準備区域」……準備でき次第帰りましょう区域

(2)「居住制限区域」……2~3年ぐらいはまだ帰れない区域

(3)「帰宅困難区域」……最低5年以上は帰れない区域

とするそうです。私の自宅は案の定「帰宅困難区域」ですな(泣)


この基準にしても、政府が押し付けた物ですし、安全基準・危険基準にしても曖昧で信用なりません。特に子供とそれを育てる若夫婦などは、とても信用して帰れないでしょう。よしや2~3年で帰って町を復興させようにも経済活動が全く止まり、農業漁業が全く出来ない、大地の恵みに全く頼れない状況では、暮していけません。


それでも帰りたいという老人や私のような人間もいます。そのためにゆくゆくは、周辺地のいわき市等に「仮の町」をつくって、そこから順次帰っていこうと。現在はこういう考えで双葉郡の市町村は動いているようです。


ぶっちゃけて書くと、最後にはゼニカネで決着となりましょう。ただそれも、オカミにしろ東電にしろ、やはり低く抑えたいのが本音でしょう。それにかける時間や手間ひまも、短く済ませたいでしょうし。


被災者同士での格差や、同県人同士の差別も起こって来ています。今、いわき市と相馬市という所では、一種の住宅バブルが起こっていて、アパートの空きがまったくない。避難民が占めちゃってるのと、復興のための出稼ぎ作業員さんが入居しているんですね。で、いろいろ面倒もあるので、貸し主さんが「双葉郡からの避難民にはアパートを貸さない」ってケースも、起こっていると聴きます。


補償にしてもそうです。確かに私等双葉郡の人間は補償が出てそれで生活しています。(ただし我々は先祖伝来の物すべて奪われた。)比してちょっと周辺の南相馬市などは、補償も薄く、解除されればそれも順次打ち切りとなる。なまじ産業活動が半端に出来てる分、風評被害等ももろにかぶる。で、「双葉郡の人間は遊んで暮して」となってしまう。いや、無理からぬ事です。


政府が新しく避難区分を見直すことが、こうした愚かな差別やねたみを助長し油を注ぎ、せっかく結ばれかけた「福島はひとつ」の絆を、断ち切ろうとしている。そんな事はあってはならないと思います。


引き続き皆さんにお願いしたい事は、まず「放射能がうつるから福島の人間はえんがちょ!」これは全く馬鹿げているので、止めて頂きたい。それと、「福島全域が放射能汚染まみれで旅行も出来ない」ってのも、全くの誤解なので止めて頂きたい。特に会津なんかは事故当時からまったく大丈夫なので是非来て頂きたいです。支援頂けるお心あるなら是非観光に。