五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ワカンナイ


井上陽水氏へのインタビュー番組を、国営教育テレビで昨日まで4夜連続でやっていた。これがなかなか面白かった。折々に曲のライブシーンなども入るが、基本はおはなしだけ。地味で激渋。閉口する人がいるかもしれないほど。


で、その中で、久々で聴いて面白かった曲がこれ。2曲目にやってる「ワカンナイ」という曲。


■いっそセレナーデ~ワカンナイ/井上陽水


D


・・・明らかに宮沢賢治雨ニモ負ケズ」のパロディーだ。一字一句ねちねち疑問形で取り上げたあげく、最後には「君の言葉はワカンナイ」と突き放す。日本人の清貧の思想として、一種の権威となった宮沢賢治のこの詩を、ずばっとこき下ろしている。陽水ならではのシニカルな視点だ。


と、しかし。


でも本当にワカンナイ、共感できない、インパクトもないなら、歌にしないではないか?ある部分では、宮沢賢治のこの詩に共感する部分があるからこそ、ぐっときた部分があればこそ、こういう「アンサーソング」を、作ったのではないか。


「ワカンナイ」とつきはなすことで陽水氏は、宮沢賢治の元詩を、皆がもう一度読んで、もう一度考える様な機会をつくる。啓蒙する意図も、あったのではないだろうか?こういう自己犠牲というか滅私奉公というか、エゴを捨て去った考えも、ひとつの道としてあったんだよと、むしろ尊重しているのではないか?


「ウザイ」を多用して他人を見下し、自己愛と優越意識に溺れるようになった日本人。本当にこの「雨ニモ負ケズ」が「ワカンナク」なってしまった、そういう時代が来たのかもしれない。