五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

JPOPは複雑


・・・Jポップユニットのほうで、こういう曲をやっている。


Every little thing「フラジャイル~恋文」メドレー


D


・・・コピーしてるのは2曲目の「恋文」のほう。まあこれでも、10年ぐらい経っている曲なんだが、オヤジバンドマンにとっては新しい曲。でしかも、「構成や展開が難しい曲」だ。ピアノ4つ打ちで簡単そうだが、ところどころ変拍子が挟まっていたり、へんなコードに行ったり、結構なひねりだ。


手伝ってくれるギターの人もベースの人もオヤジ世代。「JPOPは、ここにこういくのかあ、という構成を読むのが骨が折れる」という。なるほどそうだろう。洋楽のロケンローやメタルの曲は、定石・お決まりの構成とコード進行で行くものが、結構多い。最近の曲でもそう。根っこはオーソドックスに作ってあるように思う。


ところがJPOPは、「おっと、なぜここでこう行く?」という作りに、どうしてもなってしまう。定石通りではまねっこで、オリジナリティーがなくなってしまうからだ。それでますます「おや?」という進行・構成になる。自分も「コードのひねり」にはこだわる方だと思うし、この作り手の気持ちは痛いほど分かる。日本のポップスがコピー文化である以上、ある程度ねじった所からスタートになるのは、仕方がない部分がある。


でもやりすぎはよくない。ELTがそうだとは言わないが、例えばカントリーとかブルースとか、古いルーツ音楽が持つ「幅」「大きさ」「安心感」みたいなものが、失われていってしまう。ルーツ音楽の持つ定石は、確かに、水戸黄門の印籠的なお決まりなんだけど、それって音楽を聴く側にとって、結構大事だと思うのね。大衆演劇国定忠治でも(笑)お客さんが「イヨッ!待ってました!」という、ベタベタの部分ね。それを大事にしないと。


ただ模倣にならず、定石の匂いを立ち上らせながら、なおかつオリジナリティーあるスタイルを作るってのは、それこそめっちゃ難しい。この部分はもう理論ではなく、天才であるかどうか、に、なっちゃうのかもしれないけど。