五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

戦災孤児から女優へ~サヘル・ローズ~

イラン生まれ、日本育ちの女優・サヘル・ローズさんという人がテレビに出ていました。目を見張る美人でそれだけで萌え萌えなんですが、その生い立ち境遇、日本にたどり着いたいきさつの話があまりに壮絶すぎて、私は涙を禁じ得ませんでした。(tt)


サヘル・ローズ・インタビュー前編

http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/jidai/090402_sahel1/


サヘル・ローズ・インタビュー後編

http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/jidai/090407_sahel2/


読んでもらうとわかるんですが、サヘルさんはイラン・イラク戦争戦災孤児です。爆撃で家族全員を失い、自分も死の淵からボランティア女学生に助け出された。その助け出した女性が、彼女を日本で育てた養母・フローラさんといいます。孤児院で暮らすようになったサヘルさんに、何度か会いに行っているうちに、情が移ったんでしょう。結婚もしていないのに、彼女を引き取って育てる決心をします。ところがそのことで、フローラさんは実家と大げんかして勘当されてしまいます。(このへんは戦前の日本みたいですね)


フローラさんは、当時婚約中だった彼が日本で働いていたこともあり、幼いサヘルさんを連れて日本に渡ります。ところがその彼も、ドメスティック・ヴァイオレンスがひどく、関係は破局。二人は一時期は本当に「路頭に迷う」ホームレスになったといいます。


それでもなんとか、二人はペルシャ絨毯の織物実演などの仕事で極貧ながらも生活していきます。言葉もよくわからない異国の地で、血のつながらない子供を、本当に愛して、育て上げた。自分は結局結婚もしないで。このフローラ母さんには意地もあったんでしょう。相当な「じょっぱり」です。戦前の貧しかった日本には時々、こういう風に情にほだされて、養子養女を我が身を削ってでも育てる、そんなケースもあったようですが、現代ではまず考えられません。情が深いとか業だとか、そんな言葉さえ軽々しい。「状況を生きるのに必死だった」んでしょう。


日本人得意の「いじめ」にも、サヘルさんは遭遇します。死にたいと思ったこともあったと。でも「母の人生を思うと、自殺なんて逃げは、恥ずかしくて出来なかった」といいます。「いじめる人もいましたけど、助けてくれる人、その時々何も言わず力になってくれる人も多かった。母はもちろんですが、周りの人にも感謝しています。私は本来、空爆で死んでいた人間。それが人様の不思議な力でここまで来れましたから」と。


このくだりで、私は大泣きしてしまいました。(TT)


演歌のお涙ちょうだいと言うなかれ。現代日本で暮らす以上、シニカルでニヒルな考え方も、当然情報として入ってきます。そんな中でもなお、どーん!と崩れない、母の愛が歴然とそこにあり、自分は愛されている。だから、世界に感謝をしたい。


バブル崩壊後、利己主義に固まった日本人が、忘れ果てた「アジアの義理人情」が、ここにありました。