五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

第2楽章が最高!モーツァルトのピアノ協奏曲


モーツァルト・ピアノ協奏曲Midi

http://www.ne.jp/asahi/ueno/m-a/mozart-pc.html


・・・前回にモーツァルトのこともちょっと出しました。実は私はモーツァルトファンです。で昔、あてどなく書いた「モーツァルトのピアノ協奏曲」について、評論みたいな感想みたいなテキストが出てきました。

ま、せっかくなので、上記Midi試聴サイトのリンクとともに、載せたいと思います。興味ない方スルー奨励。


<第2楽章が最高!モーツァルトのピアノ協奏曲>


 ウォルフガング・アマデウスモーツァルトWolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日)誰もが知っているこの天才作曲家の作品と聞いて、真っ先に思い浮かべるのが、このピアノ協奏曲のジャンルかもしれません。明るく軽快に鍵盤を上下するその音楽は、一点の曇りもよどみもなく、天使が舞い降りたようだとか、生まれたての赤ん坊のようだとか形容されます。


 しかし1曲3楽章に分けられて書かれた協奏曲で、そういった軽快なイメージをかもし出すのは冒頭の第1楽章、及び終盤の第3楽章であり、中間にはさまれ、緩徐楽章と呼ばれる第2楽章では、その軽快なモーツァルトというステレオタイプイメージは一変します。甘く切なく美しく、しかも無駄な虚飾は抑えられ、深く心に染み入る楽曲とはまさにこのこと。実はここに、モーツァルトのもうひとつの真実の一面があると考えます。


 1785年(29歳)作曲の第20番は、彼のピアノ協奏曲における最高傑作と称されています。20代後半、故郷のザルツブルグからウイーンへ、意気揚々とやってきた彼は、コンスタンツェという妻を得(後に悪妻というレッテルを貼られるが)希望と安らぎを得て幸福だったのでしょう。第21番も同様な雰囲気が見て取れます。


 ところが翌年30歳で作曲された第23番になると、少し様子が違ってくるような気がします。こののち、彼に音楽教育のすべてを施した父が他界し、自身も徐々に聴衆からの人気を失っていく、そのはじまりの予兆を、あたかも予知していたかのようです。


 そして第27番。35歳の若さで亡くなる彼の、死の年に作曲された最後の協奏曲は、これはなんと形容したらいいのでしょうか。作曲も演奏活動もなかなか機会がままならないほと人気は翳り、彼は生活のため奔走していきます。そんな不幸の中で彼が書いたメロディーは、すべてをあきらめ、悟りきった修行僧のような静けさの境地を表現しています。号泣する悲しみはまだ甘い。泣きつくしてもう何も残らないような状態の中でも、自然の陽だまりだけが暖かい。そんな木陰で、何も成すすべなくたたずんでいる……。


 モーツァルトのピアノ協奏曲の緩徐楽章……天才作曲家というより、一人の人間のこころの有様が、これほど端的に表現されている音楽は、すべての音楽の中でもなかなか稀有ではないかと、私は考えます。