五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

嘘も方便、靖国も方便

お盆休みです。

昼にお墓&お寺に行ったらちょっとたまげた。12時になってお寺の鐘がゴーンと鳴ったのだが、鐘突き堂に誰もいないのだ! げ~~~ミステリィィと一瞬びびったが、何のことはない、タイマーとモーターによる機械仕掛けになっているのだ。突き棒にアームが付いていて、ぐっと後ろに引いてぱっと離す仕掛けだ。

これでは風情も信心もあったモノではないなと思ったが、よく考えてみるとこの寺にはご高齢の住職さんお一人。鐘突きも、朝な夕な、真冬の大雪でも台風でも、365日果たさねばならないとなれば、大変な仕事である。雨雪の日などちょっとした石段の上り下りなどでも結構危ない。法事の留守もあるし、それを考えるとまあ、これも仏法の方便、許されるだろうと思い直した。

仏教は、死んだ人のためのモノではなく、実は生きている我々が、どうすれば欲にとらわれない生活が出来るかを説くモノだ。あのわけのわからないお経は、釈迦の弟子への説法だ。どうすれば良く悟った生活が出来るかが描かれている。言ってることは意外とフレキシブルで、修行なども状況に応じて変えていけとも言っている。聖書も同じだね。違いはそれを訳さず漢文音読みのままにしていこと。これは外国の文化はそのまままるっと受け止めて有り難がる日本人の……特に為政者の……特性かも知れない。キリスト教は弾圧されたおかげで翻訳が進んだのかな? 

死者の弔いと墓地の管理がお寺の仕事になっている。このことは大陸の仏教でもキリスト教でも同じだと思う。が、先祖の霊がイエを守るとかいう祖霊信仰はどうなのだろう。これは日本の土着的な信仰が仏教と融合した、我が国独特なモノで、本来の大陸の仏教とは様相が違ったものなのではないだろうか? で、これと同じ発想で、今話題になっている靖国神社は、神道と、祖霊ならぬ英霊信仰が融合したモノだろう。我々はごく自然なモノとして受け止めているこういった宗教形態も、外国の人から見れば、実に曖昧なご都合主義と言われてしまう。

靖国問題なども、もとを正せば、こういった日本人の持つ曖昧な宗教形態と考え方を、ちゃんと言葉で説明してこなかった、このことに原因があるのではないかと思う。もはや日本の宗教は、大昔からご都合主義、いろいろ矛盾を抱えたまま来てしまったのだ。この点を、肝心の日本人がわかっていないのに、外人が分かるはずがない。そこにさらに、戦争での日本の大陸侵略の歴史がからむ。がんじがらめである。

靖国にもしも英霊が本当にいるのなら、そんな政治にからんで参拝するしないなど言い争う連中には、むしろお参りに来て欲しくないと思う。もっとシンプルに、合掌して貰いたいと思っているよ。