五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ザ・ヒット・パレード

昨晩(2006年5月26日)フジテレビで放送されたドラマ「ザ・ヒット・パレード渡辺晋物語~」面白かった。日本最大手の芸能プロ、渡辺プロダクションの創業者、故・渡辺晋の半生をもとに、クレイジーキャッツ青島幸男故宮川泰先生など、テレビ黎明期の音楽バラエティーを作った人々の姿を描いたドラマだ。昨晩放送されたのは前編で、今晩(27日)続きの後編があるらしいので、ご興味のある方はぜひ観るといい。

まーこのネタで行く事を決めた段階ですでに勝利だね。史実をそのまま辿っていっても、自動的に十分面白いドラマになることが分かっている。それに甘えて、柳葉敏郎らのキャスティング、あるいは本や映像が、なってない所も多々あるけど。でも、それでも、面白かった。先般、いかりや長さんの伝記「だめだこりゃ」を読んだので、進駐軍周りから出発したバンドマン達の様子は、ちょっと知ることは出来ていたので、なおさら良かった。

渡辺晋。彼自身が元々はバンドマン、ベーシストだったのだね。学生時代、進駐軍ジャズバンドのバイトで「見かけの人数合わせのため、とりあえず楽器を持ってこれるヤツで、あて振りだけしてくれればいい」という、無茶苦茶な状態の中で、アメリカ音楽・エンタテイメントの凄さに感動する。クレイジーキャッツドリフターズも、出発点はこんなもんだったという。このくだりが、初めてビートルズを聴いて「がび~ん!」と来た、中学時代の自分と重なる。

会社システムも何もない、やくざな水商売であるバンドマン。生活は不安定。借金苦で自殺してしまう仲間の姿に接し、渡辺は芸能プロダクションの設立を決意する。このあたりは、まあ多少は美談にしてあるのだろうけど、動機に偽りはないだろう。ただし、実家がやっぱり財産を持っていないと出来ないだろうね。有閑階級の道楽と言われればそうである。

不思議に思うのは、ミュージシャンである渡辺が、コントやコメディ・エンタテイメントなどのいわゆる色物にも、深い理解と愛情すら示していたことだ。この理由は実は私も推測するしかないのだが、進駐軍周りのステージ経験から「高度な演奏よりも、まずウケなきゃ話にならない」という考えを、骨身にしみて思い知っていたせいではないだろうか。いかりや長さんも「米兵からは、しかめっ面して弾くなということを、さんざん言われた」と書いていたし。ステージ・エンタテイメントの精神からはすれば、むしろ当然のことかもしれない。

その後、「ザ・ヒットパレード」は、日テレで「シャボン玉ホリデー」に引き継がれていき、クレイジー植木等の映画「無責任シリーズ」の怒濤の成功、ドリフの登場から全員集合と続いていくのは、ご存じの通り。ロカビリーからGSにもナベプロは絡んでくる。とにかくこの高度成長期の、音楽バラエティーを仕掛けた連中は皆、ヤクザで無茶苦茶で、粋でカッコイイのである。

その根幹には、常に音楽があった。それも洋楽があった。漫才などの古来からの話芸ではなく、今のお笑いの主流である「のりといじり」でもない、音楽でのお笑いだ。これこそが本当のバラエティ。しっかり音楽があるからこそ、バラエティー豊かになるのである。