五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

学校で朝食を

う~んとうなってしまう記事があった。小学校の校長先生が、生徒の家庭での食事があまりにもひどいため、見るに見かねて親を呼びだし、説教した話だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000010-mai-soci

何でも、親がコンビニの経営で忙しく、子供の食事は朝食抜きは当たり前、夕食も店の売れ残り品を、そのまま与えるような有様だったらしい。こうなると子供なんぞは好き嫌いのし放題で、栄養のバランスもへったくれもなくなる。で、この校長先生、少しでもこの生徒の栄養の足しになればと、校長室で他の生徒に内緒で、給食の牛乳を一本よけいに飲ませているらしい。他に時々、簡単な食事なども作って与えることもあるようだ。学校の先生が生徒の食事を心配するとは! 終戦直後の焼け跡社会ならともかく、21世紀の現代に、である。

母親:「忙しい中食事を作っても、この子が食べないんです」

校長:「だからといって、好きなお店の惣菜だけ与えて終わり、ではダメでしょう。食材を小さく切るとか、綺麗に盛りつけるとか、子供が食べるような料理を作るのも、親の責任じゃないんですか!」

おそらくはこんな会話がなされたに違いない。

でもこれについて、このお父さんお母さんを悪者には、私はどうしても出来ない。店の売り上げノルマとかも厳しかったのだろう。一度店を構えて深夜も営業しますよとなれば、その地域に対しての責任も出てくる。この校長先生のお母さんへの要求も、共働き核家族家庭には、厳しい要求となってしまう現実がある。

しかしながらこれは、家庭の機能崩壊、食の機能崩壊だ。人間の生活の基盤である家庭が壊れ、役目を果たしていないのだ。そうなると、いつも犠牲者は弱者の子供に来る。その取り返しは、二度と着かない。

またこのことを、仕事優先、社会機能優先の弊害とし、責任を国や省庁に転嫁することも違う気がする。法律や制度でどうこうできる問題ではないのだ。

欧米のように「プロのベビーシッター」の充実を図る? 「全寮制」の学校を増やす? いや、農村の大家族・イエ制度の名残を、心に色濃くとどめている日本人にそれが出来るのか。育児やしつけを、完全に「お仕事」として成立させられるのか。他人が「よその子」に対して、正しく公平に、しかも安全に、しつけが出来るのか。はなはだ疑問である。

これについては本当に、どうしたらよいかわからない。私は、たぶん、家庭は持たないであろうから、このことについてどうこういう資格すらないかもしれない。でも、日本人が、その根底の基盤である「家庭・こども」から、崩壊していく。その様子は、こんな私をも心の底から震え上がらせる。