五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

カラーペイントマンと遭遇した日々


20代の一時期、自分、何を間違ったのかプログラマの職に就いていた。お江戸や仙台等、出張なども人並みにやった。最後の大物仕事だった茨城のビール工場の制御システムが、いろいろ不備でドツボにはまり、恐ろしい残業地獄の勤務となった。お江戸の会社寮(タコ部屋で男3人)で半年、現地の安ホテルの渡り鳥を4ヶ月ぐらいやった。夜の11時が定時みたいなもんで、土曜日もみっちり。時には日曜も出だった。


で、茨城の安宿を渡り歩いてる時に、もろ外観がラブホテルに泊まらされた。木造モルタル。本館の他にバンガロー風建物が6~7棟あったかな。ロビーも廊下も板張りで日も射さず真っ暗。でもビジネスホテルだと言う。実際カップルは少し居たけど、大体土方の出稼ぎおじさん達が多かった。


自分にあてがわれた部屋は3畳間。そこに折りたたみ式の、浜辺で良く見るゴザ編みベッドが占領し、枕元に小さな机とテレビ、クローゼットじゃなく押し入れ、それでもう隙間が無い。窓は、あるんだけど板が打ち付けて、隙間から少し日が入るだけ。勿論木造ギシギシで、夜寝ていると天井がかさかさ言ってる。ネズミだろうな。


内風呂などない。代わりに大浴場なるものがある。といっても銭湯よりせこい。タイル&コンクリだけどお湯は出た。湯船もまあ快適なんだけど。しばらくするとどやどやとおじさん達が5~6人入って来たのだが……この人達全員が「桜吹雪」と「登り竜」と(笑)


これにはとにかくビビった。今なら話もしてお友達にもなれようが、当時は自分も紅顔の美少年(爆)体洗うのもそこそこに退散致しました。


え、つまらん? 今考えるといろいろ聴いておけよかったと後悔しきりだけどね。結局そこに一週間いたかな。刺青さんとは1日おき3度ぐらい遭遇。思えば真面目に働いている人達だったから、足を洗ったカタギの人だね。


以上安宿でカラーペイントマン遭遇記は終わり。洋式のビジネスホテルよりこういう宿で、土方のおじさん達が居るくらいの方が安心出来たりするんだ実は。