五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

再掲載】愛する人をつくるな

【再掲載】(2007年9月26日日記より)愛する人をつくるな


愛する人をつくるな

愛する人に会えないのは苦しみである

愛する人を失うのは災いである

ゆえに、愛する人をつくるな

愛から遠のけば、憂いもなく、憎しみもなく、恐れもない

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この言葉は、「法句経(ダンマパダ)」というお経の一節にある言葉です。お釈迦さまはどうやら本当に、弟子達にこういうことを言ったらしいです。


仏教は、恋愛はもとより、それこそ家族愛すらしがらみだから、捨てられるものなら捨てろといいます。物欲・金銭欲・出世欲などはもっともってのほか。うたかたのこの現世、とにかく自分をすてられるだけすてて、修行と他愛とに生きろと説きます。


この考えは、今の私達の考えでは理解しがたいです。特にポップ音楽とかにのめり込んで育ってきた私などは特にわからない。若いときにこのお経の内容を、仏教をやってる友人から聴かされたときは、反発さえ覚えました。


でも、歳を取ってくると、この言葉、すごくひっかかってくる。気になるようになってきました。愛と執着は紙一重。過ぎた愛は執着を呼んでしまう、ということでしょうか。相変わらず理解しがたい言葉ですけど、不惑を過ぎてこの境遇、考えてしまう自分が居ます。


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・・・数年過ぎました。見解は基本的に変わらず、よしわかったとは言い難いです。


しかし、釈迦は決して、高踏的潔癖だけで、この台詞を言ったのではないとは思います。恋愛の、性欲・独占欲・時には相手を殺しても手に入れたい執着を、釈迦は身を以て知っていたのではないか。


男と女は、時には刃傷沙汰にもなります。それはやっぱり苦しい。他のすべてを失ってしまう可能性すらあります。ロマンチックなラブソングの裏に、リア充なんて言葉の裏に、そんな黒い一面を、誰しも持っている事。逢いたい気持ちに従う行動原理の裏に、自分の性欲がある事を知った時、愕然とします。それは見つめなければいけません。