五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

バレエをちょっと見て

*[クラシック]バレエをちょっと見て


ヨハン・シュトラウス「美し青きドナウ」ヤンソンス指揮/ウィーンフィル


D


毎年恒例の「ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート」から。この耳タコの曲を、水戸黄門の印籠よろしく、毎年聴かないと始まらないという人も大勢居るらしい。ここまでの定番曲だと指揮者が変わっても演奏はあまり変わり映えしないので、これは芸術演奏会と言うより国家行事・宮中神事に近い感覚ではないだろうか。


ここで踊るウィーン国立バレエにしてもそう。まあ毎年趣向は替えてはいるんだろうけど、変わった印象が無い。変えてはいけないものなのだろうしね。


フィギュアスケートは好きなくせに、バレエとか社交ダンスなんかは見ていて苦手だ。男女で見つめ合って踊る姿は見ていてこっ恥ずかしくなってくる。男のダンサーがプリマドンナを「舐めるように」上から下まで見つめる姿なんぞ、下世話だがエロ以外の何者でもないではないか。これのどこが芸術なのか、正直今もってわからん。


わからないので「こういうものが西洋文化なのだ」と無理矢理納得させる。いや絵画なんかも、女性の裸体美ってのもあるでしょ。文学や詩歌だってそうでしょうし。男目線から見た女性を賛美し、恋を賛美し、エロも賛美する。その表現に心を砕く。「好きだ!いてこましたいんだ!(爆)」という所に、詩が生まれ芸術が生まれると。舞踏は、そいうった西洋の「恋愛至上文化」が数千年、積み重なった結果としてあるのだと。


日本人、ここまで行けるか??


海外で活躍する日本人バレエダンサーさんたちは、こういった「恋愛至上文化」「強烈な恋愛表現」にたいして、どう立ち向かっているのだろう。バレエやフィギュアの人が皆、超ナンパな性格にならないとダメだ、とは言わないが、近い線までは行かないと踊れないでしょう。「西洋の真似をする必要は無い!日本人なりの、また違った何かで」表現していくのだ!」のもわかるけど、それじゃ肝心な舞踏表現の神髄が決定的に欠落してしまうのではないだろうか。