五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

偉大なる音楽の終焉??


・・・別な一般のニュースサイトに、「作曲の専門的な記事」の紹介が載っていた。珍しいなと思ったので元をたどってみた。


■「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話」

http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html


・・・ここに貼り付いている前後編2本に渡るニコニコ動画。言っておくが面白くはない。内容が「コード進行」についてだし、全部見てると時間を食うしで、よほど作曲とかやっている人以外は、見る必要はなかろうとも思う。


内容をかいつまんで言うと「ワンパターンのコード進行を使った曲が氾濫しすぎているのは問題だ!」ということになる。


この作者はまず、JPOPで多用される典型的なコード進行として「IVmaj7→V7→IIIm7→VIIm」という循環進行を例に出す(ハ長調だとFmaj7→G7→Em7→Am)。これをJPOPの「王道進行」と名付ける。そして、これが30年以上の長きに渡って、さまざまなヒット曲のサビで使われ続けてきたことを指摘する。平井堅「瞳を閉じて」に始まり、杏里「オリヴィアを聴きながら」から最近の幸田來未まで、十数曲を例に出し、ピアノで実際に弾きながら、左手の和声伴奏は全く同じであることを証明していく。


「パクリのネタばらし・音楽的暴露記事」と早計するなかれ。ことはそんな単純な問題ではない。


万人に好まれる安易な曲想を、長年無反省に多用してきたのは、作曲家の怠慢、そしてそれを作らせるディレクター等の業界人の怠慢だと、作者は言いたいのだろう。業界全体が「それ風で押さえておいてよ!」と言うような、なあなあ主義に毒された、構造的な怠慢があるというのだ。


・・・確かに当たっているし、この「王道進行」は、自分自身も「死ぬほど多用」している(^^;;


しかし音楽は「ドレミファソラシド」の枠内で作られる以上(非音階音もあるし、現代12音音楽もあるぞ、という指摘はご容赦)有限なものになる。統計とか組み合わせの問題になるが、次の音にどう行って、どう決着するか、には、ある程度制限があるんだ。人間が「気持ちいい」と感じる音楽的パターンって、案外少ないと思う。だから、この「王道進行」ワンパターンを避ける根本的解決策は、ない。


「音楽」そのものの問題でもあるんだ。「楽理構造」の限界ね。


だから、音楽ディレクターや業界人を責めるのも、いささか気の毒な気がするのだ。


この作者の指摘には大いに敬意を払うし、自分もアマチュアながら安易さに流されない音楽作りを考えようとは思う。しかし、このワンパターンを治して気をつけたら、音楽業界が良くなるか、JPOPの楽曲の質が良くなるかということには、疑問だと思う。楽理の限界は、依然として消えないからね。ラップ・ヒップホップやらテクノやらもあるけど、やはり突き当たりは来るでしょう。


ひょっとしたら僕たちは、ちょっとロマンチックに言えば、楽理の限界から見えてきた、「音楽の偉大なる終焉」に、生きているのかもしれない。なんて考えてしまったのです。