五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

カザフスタン戦 そして円谷幸吉

いや~~~~~~~(^^;;血圧があがって倒れるわ。ヴァリボ、カザフ相手に33対31はやめてくれ~~~。(放心状態)


第2セット、やはり来ました、デュースの繰り返しでいつまでも勝負がつかない悪魔の時間が。まあこれが女子ヴァリボの最大の魅力でもあるんですけどね。そしてここで、やっと出ました、神懸かり的なレシーブ、つなぎ、粘り。そして、やっと当たりが戻った「主砲」栗原!! 24点以降は決定率100%だったんじゃないかな! ラリーが続き万策尽き果てたときに「お願い、なんとかしてっ!」と上がる、ミエミエのレフトオープントス。これを、高い打点からしなやかなバネで打ち切ることが出来るのが、エース栗原の好調時の姿。これですよこれ! 私が見たかったのはこれなんですっっつ!!!!


荒木・杉山のブロックもよく止まっていましたし、今日は文句はありません。血管切れそうだったけど(^^;


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さて、昔のマラソン選手で、円谷幸吉選手という方をご存知でしょうか。悲しいことに自ら「☆」になってしまった、伝説のランナーです。ちょっと重い内容なんですが、ページをリンク。


NPO 家族葬の会・死に様・生き様:円谷幸吉

http://npo-kazokusou.net/column/life004.html


東京オリンピックで、途中まで2位だったのを、ゴール間際で抜かれて銅メダル。次のメキシコ大会で「ぜひ雪辱を!」という、ものすごい国民の期待とプレッシャーの中、コンディションを崩し体を痛め、彼は遺書を残して逝ってしまいます。(TT)「兄上様姉上様、○○(食べ物)おいしゅうございました・・・」と連呼される遺書は、あまりにも悲しく苦しく、アスリートの悲劇を象徴して有名です。


しかし、近年の若い方は、この遺書を読んでも「ワケわかんね」で、片付けるそうです(がーーーーん!@@)


「なぜ、死ぬ間際に、とろろがうまかっただの、すしがうまかっただの、食い物の報告をするワケ? それがどうして、皆の心を打つ有名な遺書とされているワケ? 理由が全然わかんない」と。


時代の感性は、ここまで荒廃したのかと、ショックでした。


円谷選手は福島の田舎の出身で、兄弟がたくさんいました。その点で決して孤独ではなかった。その、良くしてくれた兄弟ひとりひとりに対して、自分のために作ってもらった食事に対しての感謝を書く。これはおもいっきり未練なのです。「本当は生きて、またこういう食べ物を、親兄弟と一緒に食べたい。でもそれはかなわない。世間は自分を、走れ、負けるなと責め立てる。でももう、その期待には応えられない」


世間のがんばれの声、日本の全員の応援の声が、円谷選手には逆に、つきささる針になった。味方は誰もいない。どうしようもない状況の末、死を決意したとき、脳裏に浮かんだのが、兄たちと食べた食事だったのです。食べるとは、まさに生きるという行為そのものです。それすら必死で断ち切ろうとする、その失意の深さと悲しみの深さ……。


ヴァリボ期間中で、私なども無責任に「あの選手はぜんぜんダメだ」とか言ったりします。監督気取りで選手をコマ扱いしたりします。そんなとき、この円谷選手の悲劇を、思い出すようにしています。


オリンピックとは、こんな悲劇まで引き起こさねばならなかったのか。スポーツとは、勝負とは何なのか。応援する上での自戒と反省を込めて。