五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

闇の中のカーペンターズ

・・・うう、やっぱ泣いてしまう(TT)国営放送でやってた「カーペンターズ」のドキュメント番組です。もう耳タコの部分もおおいにあるんですけど、見るとやっぱり、胸が痛いですね。

歌ってる映像の多くは口パクだったり、せっかくのライブの模様もカメラワークが最低だったり。そんな中で彼らが学生時代のライブ映像が1曲だけあって、それは本当に貴重でした。まだ初々しいカレンのドラムとヴォーカルに対し「これでもか!」とピアノを早弾きするリチャード。結局はこの兄妹の力関係からは、最後まで抜け出せなかったことになるんですが………。

「歌手である前にドラマーでありたかった」カレン。ドラムを叩きながらの時の方が、顔の表情が全然違って生き生きしています。その彼女に「新しいドラマーを雇うから歌に専念してくれ」と言うリチャード。「死刑宣告なのは僕にも分かっていたが仕方なかった」と。

「ソロアルバムを作ることを認めて欲しい」と、泣いて電話をしてきたカレンに、「今の君では実力の半分も出せないし、流行に乗ったディスコをやっても失敗するよ!」と言うリチャード。いや、確かにその通りなんだけど……なんか残酷で。ちょっとリチャードが嫌いになりました(苦笑)

関係者のインタビューの中では、作詞家のジョン・ベティスの話が面白かった。「イエスタデイ・ワンスモア」「青春の輝き」等を作詞し、カーペンターズの「ことばと歌の名付け」をした人です。この人は見栄え、非常にどっしりとした、地に足のついた考えの人だという印象で、その点、天才肌でやや奇矯な印象があるリチャードとは好対照だと思いました。以下、彼のインタビューを引用すると………

「カレンと僕とでは、物事に対する反応・感性が、よく似た部分があった。だから僕の言葉・歌の世界を表現することは、彼女にとっては割と容易いというか、すんなり入れたんじゃないかな。」

「リチャードも、若い頃の僕もそうだったが、完璧主義者過ぎた。特にカレンはそうだった。そして僕らは、音楽以外にも、人間関係の面に置いても、完璧を求めすぎた。」

「あの成功とその後の悲劇は……僕らは、太陽に近づき過ぎたんだ。」と。

彼が書いた「青春の輝き」は、私も下手な訳に挑戦していますが。

http://d.hatena.ne.jp/terryyokota/20061025

ラストの1行。

I know I ask perfection of a quite imperfect world.

And fool enough to think that is what I'll find.

この意味が、重みが、やっとわかった。これは、単なる高望みの恋愛を求めた、だけじゃなく、すべてにおいて完璧を求めすぎた、というカレンの心を、本人でも図星だった闇の部分を、ベティスが敏感に感じ取り、そのまま切り取ったモノだったのだ。不気味なまでの心の共鳴で、ぞっとする。

その「馬鹿な考え」に気がつきながら、認めたくない。葛藤・悪循環。そして訪れた悲劇。

カレンのあの深い歌声は、やっぱり、闇の中でもがき苦しみ、光を求める人間の、悲しい悲しい歌だったのだね………