五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

31年ぶりの「つま恋」

・・・なんか今週になって急に、今まで滞っていた仕事の校正稿が戻ってきてあたふたしていましたが、今日は休めています。

さて、懸案事項として書きつづっている子供のいじめ自殺について、推薦する「こころの散歩道」に、最新の記事が掲載されていました。大人の側の考え方と対応を的確に書かれていて大切だと思いました。一読をおすすめします。

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/jisatu/2006/ijimejisatu2006.html

で、今朝は国営放送の、吉田拓郎・がぐや姫の31年ぶりの「つま恋」コンサートの密着ドキュメント番組を見ていました。

会場を埋め尽くすのはおおよそが50代のオジオバ。この人達がどわ~~っと居て、皆が汗しながら歌いまくる。この光景はかなり異様で不気味でもありますが、同時にかなり感動します。

フォーク世代と呼ばれる人達は私よりいっこ上、青春時代に「自分たちの言葉と音」を見いだして、それがはじめて文化として定着した世代といえます。客観的に自分を観ることが出来るような、醒めた意識を持ちながらも、同世代の仲間意識・団結力が強い。番組でも、観客の方数人にインタビューをしていますが、皆照れながらも「自分について、人生について」ちゃんと語れる。この意識の高さは、ひょっとしたら私ら世代……サザン・ゴダイゴ・ツイストなどが思春期だった第2次エレキブーム(?)世代よりも、すごいんじゃないかと感心しました。

拓郎のウルトラ字余りソングについて、私は、音楽美学の観点から「ちょっとあれはないんじゃない?」てんで、偉そうに批判した時期もありました。時代が二回り三回りした現在、この字余りぶりが実に新鮮に響いてくるのは、自分の中でも驚きでした。「我が良き友よ」「落陽」「今日までそして明日から」………数々のヒット曲については、歌詞よりもむしろ、そのメロディの良さを再認識しました。フォークの売りは確かに歌詞だけど、それだけじゃエバーグリーンにはなれませんよね。

「自らの言葉で自ら書き歌う」歌。その点では昔のフォークも、今のJ-POPと出発点は一緒、単にノスタルジーではなく比較対象として同じ土俵で同じ風雨にさらされるべきものだと思うのですが、どうでしょう。事実、拓郎氏の比較的近年になってからの曲も、その個性は変わらないのだけど、古くささ、手垢の付いた感じはしませんでした。このへんが、例えば井上陽水とか、ライブにも出ていましたけど中島みゆきとか、皆並んですごい人だなあと、改めて思いました。