五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

イタリア戦、そして城島選手

・・・負けました(泣)あまり多く語りたくないです。次は15日オランダと5~8位決定戦です。まずはそれに集中!

ヴァリボの後、国営放送を回したら、野球、大リーグ・シアトルマリナーズへ行った城島選手のドキュメントをやってました。日米の野球に対する考え方の違いに苦労し、苦闘する姿が描かれていました。これがまた、奇しくも日本とアメリカの、東洋と西洋のメンタルの違いが如実に現れていて面白かった。

ご存じの通り、野球のキャッチャーは味方ピッチャーに配球のサインを出します。それは日本の場合だと、相手打者の弱点やら試合状況やら、色々なデータの中からもっとも打たれるリスクの低いものを選ぶ、消去法に近い形を取ることが多いです。

ところがアメリカの場合は、サインはキャッチャーが出すものの、最終決定権はあくまで投手。「俺はこの球が最高なんだ!打たれるはずがない!」という考えの基、ピッチャーが投げたい球を投げさせるのが第一となる。

これはもう超強気・超建設的、能動側の個人の欲求と主体性が最優先されるわけです。集団管理主義と個人能力主義、考えの違いがくっきり現れていますね。結果、確かに強気ではあるけれど、恐ろしく傲慢で融通の利かない部分も出てくる。

城島選手は今も苦労している過程だと聞きます。

競争を勝ち抜かねばならない厳しい能力社会、ここまで「俺が俺が」という性格でないと、つとまらないのでしょうかね。彼らは孤独ではないのでしょうか。空しさに苛まれることはないのでしょうか。スポーツは特に、勝ち負けの世界だけど、私は何かが、違うように感じてしまいました。