五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ポールモーリアの「サーッ」

またちょっと空きました。この数週間、作った曲をまとめていて、それが最終スパートに入っています。もうじき成果がお見せできると思います。

さて、皆さんはヴァイオリンの音のイメージって、どんなですか? 擬音で表現すると「キイキイ」ですかね。こする音なので、不快ではないけれど、やや耳に触る感じがしますよね。

ところが、これが人数が増えて、ビオラもチェロも入った「ストリングス」になると、どうでしょう。また擬音で表現すると「サーッ」という、透明な、単体のヴァイオリンとはまったく別物の音になってしまう。あくまで私の耳と主観ですが、この音の変わりよう。なんで「キイキイ」が集まると「サーッ」になるのか。特に子供の頃は、この「サーッ」の音は何の楽器だろうかと、ずーっと不思議でした。

その「サーッ」が、いつも聞こえていたのが、ポール・モーリア・グランド・オーケストラでした。子供の頃時々連れていって貰える都会のデパートや喫茶店などで、耳に入っていた音・曲たち。ある日ラジオでその曲たちがかかって、アナウンサーが彼の名前を言った時、私はその名前を書き留めた記憶があります。有名な「オリーブの首飾り」「恋は水色」などのほかに「明日に架ける橋」「レット・イット・ビー」「イエスタデイ」「青い影」なども、ポールモーリアで初めて知りました。私はもちろんガキんちょだったので、全部彼、ポール・モーリアの作曲だと思っていました。

しかしながら依然として「サーッ」の謎は解けませんでした。解けたのは学校で、はじめて意識してクラシック音楽を……トヴォルザークの「新世界交響曲」を聴いて感激し、その後テレビの「N響」の番組で、演奏しているオーケストラの様子を、初めて意識して観た時でした。「えー!「キイキイ」が集まると「サーッ」になるの?なんでなんで?」と、小学校の友達とかに言った記憶もあります。とにかく自分の中では結構ショックでしたね。笑。

さらにショックが続きます。ポール・モーリアの作曲だと思っていた数々の曲たちは、大体が「ロック」の曲で、オリジナルは別にある、ということがわかったこと。そして、友人が「これがオリジナルだ!」と言って、ビートルズの名曲を何曲か聴かせてくれたこと。その甘美でポップな歌の数々。ロック=野蛮でうるさいだけのハードロック、だと思っていた田舎の小学生の脳天を直撃され、その時から私は、やくざなロックファンの道を歩み出すことになります。笑。

さて「サーッ」の謎が晴れなかったことと、数々の名曲が「カバー曲だった」ことで、私の中でポールモーリアの印象は、随分悪くなってしまいました。なんとなく「謀られた」感じがして、一時期は敵視すらしていましたね何故か。苦笑。今では「やっぱり素晴らしい作曲家・編曲家」のひとりだと尊敬していますが。ん~でも編曲とかをかじってから聴くと、薄っぺらい部分も、やっぱあるかなあ。

音楽に目覚める段階の一里塚として、洋楽に導いてくれた一人ではありますが、ポール・モーリアは、私の中ではなかなかに複雑な位置づけのミュージシャンであります。