五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

昔のバンド仲間が

あまり重い出来事は、すぐにはネットの日記には書けないものだ。自分の中で事実を受け止められず、筆を執る気にならないからだ。でも、3ヶ月が経とうとしている。書くことにする。

3月に、昔のバンド仲間だった同級生が亡くなった。

肝硬変だったそうだ。毎晩毎晩、それこそ飲まない日はなかったそうで、ここ2年ほどは入退院を何度か繰り返していたらしい。

ヤツとは中学時代、一緒に洋楽&ギターにのめり込んで、高校卒業まで一緒のバンドをやっていた、文字通り思春期を共に過ごした仲間の一人だった。何度か一緒に立ったステージは、どれもこれもが懐かしい思い出だ。しかし卒業後は、私の方がお江戸に出たり、実家ごと2つ隣の町に引っ越したせいもあり、疎遠になってしまっていたのだ。

その後自分は、音楽に関しては好き勝手やってきた。バンドはあまり成果は出なかったけど、若い時から今まで、出来るだけのことはやれた。そして今もやれている。

友人は、家業を継ぐ都合もあって、高校出た後、ほとんど昔流の「丁稚奉公」「修行」の形で、厳しいところで何年か働かなくてはいけなかったそうだ。彼もバンドをやりたかったし、忙しい中でも実際にいくつかはバンドを試みたらしい。でも、音楽のテクニック的な問題も含めて、挫折したらしかった。やがて実家に戻ってきた時に何度か逢ったが、なんだか投げやりというか無責任・気まぐれというか、そんな風に性格が一変していたので驚いた記憶がある。

バンドマンに、なりたかったのだろう。でもなれない。そんな、誰しもがひとつふたつは持って居るであろう小さなジレンマが、ヤツには大きかったのだろう。替わりのもの見つけることも、出来なかったのだろう。小さな閉鎖的な田舎町で、毎晩酒を飲んでクダを巻くしか能がなくなっていったのだ。

遺影と骨壺になったヤツの前で、自分は、悲しいとか空しいとか、そんな感情も起きなかった。あわれには思うが、あわれむには自分とヤツは似すぎている。ただ、馬鹿野郎でも生きていれば、40過ぎてチョンガーでびっこが余計にひどくなっても、バンドもまたやれるし、昔の仲間に会いに行ったりもできるのだよ。

酒で親より先に死ぬなんて、あんまり馬鹿で哀れむ気にもなれねえや。化けて出てきたら、お前なんかぶん殴ってやる・・・・!