五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

神様が本当にいたらどうするの?

何年か前、テレビで、ケント・デリカット氏が言っていた言葉なんだけど、妙に印象に残っている言葉が有ります。

 「人は死んだらおしまいだ、天国なんて無い、神様なんていないって言う人は多いけど、でももし、本当に居たらどうするの??」

・・・このセリフには周りの人間が皆、ぐうの音も出なかった。神様なんて絶対にいないよ、とは、誰も断言は出来ない。見たことがない以上、神様はいるかもしれないのであるから。

この話をS君にした。S君は「デリカット氏はやるなー」と嬉しそうに言いながら、神様は「いる」という前提に立たないと、宗教の教典はもちろんだが、文学も音楽も、歴史や、ひょっとしたら理科系を含む学問全てが、成り立たなくなるという。だから、現代の日本人が持つ「エセ無神論」こそが、全ての無知の象徴で、欧米人にサル・ポチ扱いされる最大の理由だ、という。

で、ポールギャリコ「雪のひとひら」である。

ある冬の日に生まれ、空から地上に降ってきたひとひらの雪が主人公。(何故か女性として描かれている)やがて雪は春に溶けて水となり、川に入り、様々な旅と冒険をする。大人向けの童話、ファンタジーだ。

童話と言って馬鹿にする事なかれ。易しく簡易な文章であるが、読み進めていくちに、これは大変なシロモノだと気がついた。テーマに、まったく真正面から、神の問題をあつかっているものだったからだ。

「いかなる理由があって、この身は地上に送られたのか。死すべきものとして生まれ、無に還るべくして命長らえるに過ぎないとすれば、人とは、世界とは、生きるとは、果たしてどんな意味を持つのか?」

・・・これはもはや究極のテーマ。どんな文学も芸術も、この疑問には答えられない。宗教者だってちゃんと答えられる人は、この世にどれほどいるか。にもかかわらず、ギャリコはここで、答えて居るのである! しかも明確に、確信と説得力を持って!

最後にはやはりじーんと泣いてしまった。間違いなく名著だと思う。この本をキリスト教福音書と言うのは、それこそ無知蒙昧だ。これは宗教の枠を超えた普遍の「ものがたり」。エセ無神論の日本人が、もう一度自分の心の中にある「神様」そして「生きる意味」を考えるための、優しい易しい「おはなし」である。