五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

働きバチのサムライ・浅田真央


■「浅田真央絶賛」のメディアへの違和感

http://bylines.news.yahoo.co.jp/matsusemanabu/20140222-00032891/


(引用)浅田選手にはバンクーバー五輪後、心身を休ませる休養が必要だったのではないか。とくにメンタルは疲れ切っていたのではないか。それが団体戦のSPの失敗でダメージを受けた。メダルを逃した。なぜか。心身のコンディショニング失敗だったのではないか。スタッフを含め、4年に一度の五輪にピークを持っていく戦略が甘かった。運もなかった。残念ながら、それが現実なのだ。(引用終わり)


・・・この意見には賛成しかねる。フィギュアスケートを通年、一応追っている立場からすると、真央ちゃんには、数年たらたら休んで、五輪近くなってハイ復帰、なんて器用な事は出来ないと思う。彼女自身、そんなサボリみたいな事は大嫌いで、許せないんじゃないか。あのストイックな、宮本武蔵みたいな鍛錬求道師的アスリートに、キムヨナのような事は、まず出来ないと思う。


試合本番に、フィジカルだけでなく、メンタルもピークに持って行く。そのため、成功イメージの恒常的な植え付け、冷静な不動心を養う訓練、適切な休養とオーバーワークへの配慮、等等も、勝つ為に必要な科学だと、欧米では考えられ、実行されている。日本でも近年、単なる根性論と練習量だけでは勝てず、むしろ適度に「抜いた」方が勝てると言われ出した。


しかし、選手の側が、それが出来ないのだ。抜けないのだ。長年の根性主義は、もうDNAまで染み付いているのか。


フィギュアの団体戦についても、問題は山ほど有るが、それでも選手達は個人戦以上に「面白かった、やりがいがあった、燃えた」と言って、望んで「出たい」といっている。日本人は独りよりも、仲間と一緒に働くのが好きなのだ。キムヨナのように、「団体戦個人戦に影響するから出ない」と、言い切れるような個人主義は、日本では「考えられない」世界なのだ。


悪い言い方をあえてするが、働きバチで無駄に勤勉、一人だと主張も出来ない気弱者。でも集団になると一糸乱れぬ力を出す。真央ちゃんも、高橋大ちゃんも、日本人なのだ。


もし、欧米的個人主義を徹底しないと、メダルが取れないなら、そういう風に選手を育てるべきだ。人と一緒に丸く、場の空気に合わせて皆一緒に、ってのを、完全否定した、弱肉強食のスポーツ教育を、回りの全てが勝負だという教育を、施すべきなのだ。そして周囲も、そういう俺が俺がという人間を、是認し受け入れなければいけないのだ。どうだ、そんなソビエト時代みたいなスポーツ英才教育を、やれるもんならやってみろ。アスリートロボットを作ってみろ!(やけ)


今回の真央ちゃんのフリーの大挽回演技が、美談として語られる事は、なんとなく昔ながらの精神主義・根性主義に還ったような部分も有って、警戒感もあるのかもしれない。負け戦を冷静に分析する論調も必要だと言うのも判る。何より、あれだけメダルメダルと騒いでいたマスコミが、「メダルよりも大切な事を教えてくれた演技でした。」などとほざくのを聞くと「どれだけの二枚舌か!」と思ってしまう。


それでも、やっぱり、真央ちゃんはこれで良い。働き蜂で調整が下手で、不器用で、論理(=言い訳)を口にしない。何を考えているのか判らないと、誤解を受けるほど寡黙な「サムライ」……そんな彼女の事を、個人主義の権化だった世界の人々が今、その愚直な生き方と姿勢に、拍手を贈っているのだから。



※追記:


今回、ジャンプの葛西選手が、ノーマルヒルで腰を痛めて、次のラージヒルまで6日間、治療を最優先して、練習をほとんど、

控えざるを得なかった。本人も、焦りは有るが、治療が先だと開き直れた。それが、いい具合に「抜いた」結果が、メダルに繋がったと。


メンタルトレーニングの面からは、この意味はとても大きいです。