五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

電車停止位置も合理優先

さて、うちの地方は山里深いドド田舎。電車も1時間に1本、マッチ箱みたいな各駅停車が来るだけです。たいがいが2両しかないんですが、朝夕は6両編成の電車が何本か来ます。

で、それがホームに停まる時が問題。先頭車両の停止位置が6両も2両も、同じ位置に停車するようになってるらしいんですな。JRのマニュアル上の措置だと思うけど、停止位置が一緒。とすると2両編成の場合、大幅にホームの先っちょの方に停車することになる。

ところが、駅舎へいく階段=跨線橋は、ホームの後ろの方にある。2両編成の場合、降りてからホームの端から端まで歩き、さらに階段を上り下りしてたどりつかなくてはならない。

都会に住んで、普段足腰が丈夫で、全然意識していない人が多いでしょうけど、田舎のじいさんばあさんには、たったこれだけのことが、かなり苦しい。「なんだってそんな端っこまでいくんだ!年寄りの苦労も考えず」と、文句を言ったじいさんもいます。

これ「年寄りのわがまま」だと思いますか?

合理化、マニュアル化のために、フレキシブルにニーズに対応できない、その一例だと私は考えます。

JRの例を出したけど、病院の産婦人科医の不足とかも、根は同じでしょう? 合理優先の先に、いつも犠牲になるのは、田舎の年寄りと身障者。マーケティング理論で言えば、購買力のない層。経済活動こそが社会だとすると、うば捨て山に捨てられ置き去りにされるわけです。いくら福祉とかきれい事を言っても、オカミも企業もやってることはこうです。それが「節約と安全のためにやむなし」となってしまった。これで「人の痛みがわかる子供を育てましょう。社会に奉仕する人になりましょう」とは、ちゃんちゃらおかしいです。

日本はどうなっていくのかと、いつもながら思います。