五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

茶髪・ピアスも金次第

・・・県知事辞任でローカルテレビ局が騒いでおります。特定の権力者が暴利をむさぼるのは悪だが、自分は「談合」自体は悪とは言えない面もあると考えている。この仕事はこっちが受ける代わりに、この仕事は別のあっちへ、持ちつ持たれつはいいんじゃないか。

それよりも気になったニュースがひとつ。某大学で、茶髪・ピアスを止めたら、奨学金というか報奨金を生徒に出すという。ここまで来たか、なんか学校も先生も末期だと思う。

私も中年親父世代として、ワカモノの茶髪や過剰なピアスやタトゥーは感心しない。しかし、それを口やかましく規制したり、校則などで禁止するのは違うと思う。エレキギター禁止長髪禁止の大昔じゃあるまいし、個人の自由の侵害ではないかと思うのだ。学校の先生が一個人として「俺はタトゥーしたヤツは許せない」というのは、また別だが。

しかし、そんなきれい事も言ってられないくらい、ヒドイ状況なのかも知れないが。

ただそこに「カネ」を絡ませるとは……あまりに情けなさ過ぎる。はっきり言って「釣られている」と思う。馬鹿にされていると思う。学生は「ざけんじゃねえ!」と怒っても良いとさえ思う。

これは一種、教育者としては放棄であり敗北だ。カネで何でも解決出来る世の中に、学校の先生が「してしまって」居る構図だ。こんなことを通用させるから、子供が余計に歪む。ホリエモンみたいなのが生まれてくる。

某マイミクさんの別ブログで「教育現場の事なかれ主義=いきすぎた平等」の話題を目にしたが、その直後に、このニュース。かなりがっかりした。

私らが子供~学生の頃には、必ず学校に、ぶん殴る先生や口やかましい先生が居た。でもその先生は、生徒を可愛がるときも徹底的に可愛がった。中学の頃、グーで殴る一番厳しかったM先生が、文化祭のバンド演奏には理解を示して下さり、本番当日の校内放送で「○○ズ(バンド名)の諸君、そろそろ体育館にスタンバイ願います」と、カッコヨク紹介してくれた。あのときのことは忘れない。ただその翌日から、いつもの厳しいM先生だったが(苦笑)

「グー」で殴られ青あざを作って帰ってきた子供を見て、親は学校に文句を言う。金で釣られて一時いい風紀になった子供を見て、親は「この子もわかってくれたか」と学校に感謝するのだろうか。教育の本質は誰も触らず、子供だけが無理矢理大人にされていく。