五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

美空ひばりの番組によせて

昨晩は、親にチャンネル権を奪われて「美空ひばり」の番組を、思わず観てしまった。

何でも、1970年のブラジル公演のフィルムが見つかったとかで、その映像と、武道館公演やら伝説の東京ドーム公演やらのライブ映像中心のプログラムだった。

70年のブラジルライブは白黒映像、確かに貴重な記録で、このライブフィルム丸ごと一本放送して、それだけで終わってくれた方がよかった。多分DVDで発売する腹づもりなのかもしれない。その前振りで全部は放送できないのだろう。加えて、バラエティーを持たせるため他のライブ映像も盛り込むわけだが、この辺が音楽専門といかない地上波民放テレビの限界なのだろう。

30代前半の美空ひばりの、そのヴォーカルの艶やかなこと、声のコントロールの素晴らしいこと! ノンエコーでマイクの性能もそんなに良くなかった中で、これだけのノドを聞かせる。さすがである。特に初期のリズム・ジャズもの「車屋さん」「お祭りマンボ」などは、貫禄で聞かせる後期とは違って、声がはじけるようで「ああこれが本当のひばりなんだな」と思わせてくれた。巧い、凄い。うわっつらじゃなく心から共感して歌ってる「魂」もびしびし感じる。これはこれで信じている真実の表現なのだ。テクニック、パフォーマンスの質は、音楽として大衆芸能としては、世界有数のレベルなんじゃないかとさえ思う。、

しかし。

やっぱり、俺達の音楽とは文法が違うな、という違和感は、若いひばりの姿を見ても拭えなかった。これは、俺達のものじゃない。

自分たちで作り、演奏する。自分たちの主張を音楽に組み込む。ビートルズ以降のロック、邦楽ならフォーク・ニューミュージック以降ということになるのだが、そういった音楽とは、当たり前だが、内容のリアリティー、歌の世界観、基本姿勢から決定的に違うのだ。へたでも、不格好で決まってなくても、自分の言葉と音で表現した、そんな音楽を、もう僕らは手にして久しいのだ。

「皆様、これからもどうかひばりを、よろしくお願いいたします!」と、お礼の言葉を言うときも、ひばりは、歌舞伎役者の大見得をきりながら堂々と行う。そのあざとさに、改めてロックと歌謡曲の壁、時代と表現の壁を、ひしひし感じてしまった。

・・・しかし、そういいながらも、その歌のうまさで、最後まで観てしまったけど(^^;