五線親父の縁側日誌

永遠の70年代男・テリー横田の日誌です。

筆者は田舎の初老爺、下手の横好きアマチュア作曲屋、70年代洋楽ポップス愛好家、70年代少女漫画愛好家、
女子ヴァリボ&フィギュアスケートオタ、Negicco在宅応援組です。

ラージヒルも

五輪ジャンプ、ラージヒルもだめでした(TT)あともう一回、国別団体戦があるけど・・・・。

ん~、どうしてこうも各スポーツが弱くなってしまったのだろう? 確かに、日本ではスポーツ選手の地位は低い。ヨーロッパでスキーのチャンピオンなら、引退してからも、金銭的物質面はもとより、第一に本当に英雄として尊敬される。日本での、例えば荻原健司元選手の場合はどうだろう。そこまで行っているのは、そう、野球の長島元監督ぐらいか。

かといってニンジンを多くすればいいのか、と言われると、はたと困ってしまう。金でも名誉でもない。そんなことは、たった一人個人がうわっつら潤うだけだ。個人なんて枠は小さい小さい。人間が命がけで頑張るには、もっと大きな枠が、大義名分が必要だ。国のために家族のためにとか、やっぱり何か「大きな物語」を背負う必要がある、と思う。

その「大きな物語」が、崩れて消えた。国の威信を背負ってもどうなるものでもなし、第一威信なんてまるでない。家族や恋人も、まあそこそこの成績でも許してくれる。

それに前にも書いたが、時代は別の価値観を沢山用意してくれている。第一、青春を犠牲にしてスポーツにのめりこんでも、仕方がないじゃないか。遊びや恋愛ダッテ大事。若い人なら企業で働く下準備の大切な時期だ。そんなこんな全部我慢してツライ思いをして、そのあとに何が残るっていうんだい? 個人の達成感? それこそ一時的な不確かな感情にすぎないじゃないか!

・・・個人の枠を「小さい」といってしまったら、そう、何も残らないかもしれない。

自分にはスポーツは、勝った負けたを争う世界に身を置いている者の気持ちは、正直分からない。唯一続けてきたアマチュア音楽活動に置き換えて、気持ちを推し量るだけだ。

それでも、弱くなっても、選手達は居る。現実にすごい努力をし戦っている。そして、これからもスポーツに賭けてみようと思っている人は、次々に出てきている。

自分はただ、その状況に、陳腐な言葉だけど「感動する」だけだ・・・。